![]() 2006年8月 有川劭 ※ 印の番号は池田町の52体ある道祖神の番号こちらのマップを参照してください。 |
| No. | ガイド・ポイント | 要約 | Km | 総Km |
| 01 | 「安曇野北アルプス展望のみち」 案内板 |
出発地点。全コースの距離、北アルプスの山(21座)の標高などが記された案内板。 | 0 | 0 |
| 安曇野東山包美術館 | 2005年4月開館。グラフィックデザイナー岡秀行が日本各地に伝承されている"包む文化"の香りの数々と世界各地から収集した民芸品を展示。喫茶店もある。 | 0 | 0 | |
| 特攻死 上原良司の碑 | 太平洋戦争末期、22歳の若さで沖縄の海で特攻死した上原良司が出撃前夜に自由への信念をつづった遺書「所感」(戦没学徒の手記集「きけわだつみのこえ」に収められている)の一節が主碑に、良司の顔のレリーフと略歴が副碑に刻まれている。 生誕地池田町から「自由と平和を願う」人々の気持ちを発信している。 2006年10月22日除幕。 |
0 | 0 | |
| 02 | 池田町立美術館 | 1994年開館。常設館(山下大五郎、篠田義一他)、奥田郁太郎館、小島孝子記念館を持つ。北アルプスの山々やのどかな田園風景が眺められ四季の美しい安曇野を満喫できる。喫茶店もある。 | 0.4 | 0.4 |
| 03 | 身代わり地蔵尊お堂 | 口伝えによると、渋田見地区に中世より居を構えた渋田見氏一族の氏寺として長生寺があったが天正年間に武田信玄によって寺は焼かれ諸仏は四散した。その際住民が斬り殺されようとしたとき、地蔵が現れ住民の身代わりとなってその刀を防いだという話が伝わっている。 昭和初期、山本弥代吉なる者の夢枕に地蔵が現れ「我々は今、畑の中に埋められているから掘り起こして祭ってほしい」とのお告げがあり、畑を掘ったところ6体の地蔵がでてきたという。昭和20年代まで参詣で賑わった。 |
0.7 | 1.1 |
| 04 | 島木赤彦歌碑 | 山本清行氏宅地内にある歌碑。池田小学校に勤務していた島木赤彦が近くの同僚の先生宅に訪ねた時に歌ったという。 秋はまだ浅しと云えども渋田見の里に色づく渋柿の味 |
0.1 | 1.2 |
| (小丸遺跡・小丸焼釜) | コースから外れるが、04の近くから東山に500m入ったあたりにある。江戸時代末期高瀬川の砂鉄で大砲を作った跡が発掘されている。現在は小丸焼の窯元になっている。 | |||
| 05 | 滝の台団地展望台 | 出発点と同じくアルプスの山並みと安曇野の景観が一望できるすばらしい展望台。 中学校教科書に掲載された松川村の神戸原、馬羅尾の複合扇状地が見事に見える。弥生時代後期の集落跡があった。 |
1.3 | 2.5 |
| (滝沢権現雨乞発祥の地) | コースから外れるが「まま子落し」に行く途中にあり「お鉢」とよばれる天然の滝つぼが2005年に20年ぶりに再発掘された。「お鉢」は川の流れによって凝灰岩が削られた天然の滝つぼのこと。 江戸時代、雨乞いの社であったとの言い伝えの残る滝の沢権現社(現滝沢神社)で、祈祷に神器としてお鉢が使用され、7日間神主が祈祷したという。 展望台から往復0.8km。 |
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| (ままこ落とし) | これもコースから外れるが、雨乞いの地から東山を更に登って行くと、約200万年前にできた土柱がある。”世界四大土柱”の一つの可能性あり? 池田の民話「ままっ子おとし」によると、田の入り城(東山の尾根、田の入峠)という山城に跡取りとして生まれた若君・太郎丸が継母に殺されてしまうというストーリー。継母は自ら産んだ子を城主にしたいと考え太郎丸をこの土柱から突き落としたという。 展望台から往復2.7km。 |
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| 06 | 滝沢道祖神 45
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彩色された双体神像 文政13年(1830)200年間道を守ってきた。尾根と木の囲いで守られている。 近くに 44−安政3年(1856)、 42−安政3年、 43−文政7年の道祖神がある。
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0.9 | 3.4 |
| 07 | 滝沢多鯰池(たないけ) (おたね池) |
滝沢神社[毎年10月第一土・日秋祭り--「獅子舞」と「ひょっとこ踊り」(男が女に求愛、面白おかしく)がある]のお宮の東側に池がある。「信州伝説」によると、むかし田村将軍(坂上田村麻呂のことかな)が有明山麓の宮城に八面大王を征伐しに行ったときここにしめ(縄か?)を張りこの水で身を清めたと伝えられる。現在回りに菖蒲が植えられ6m四方の大きさの湧水池となっている。 | 0.2 | 3.6 |
| (長福寺[曹洞宗]) | コースから東に往復600mのところにあり、秋の紅葉(もみじ、いちょう)が美しい。本堂には大北地方で最古、最大の涅槃図があり、毎年3月に涅槃会が開かれる。 | |||
| 08 | 花見諏訪神社 | 秋の収穫祭は滝沢神社と基本的に変わりない、が獅子舞・囃子・踊りは勇壮。身分の低い男が気品の高い女性に求愛する踊りが素晴らしい。近くに「花見ほたる水路」がある。 | 0.8 | 4.4 |
| 09 | 相道寺道祖神 47
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「やす」(神様への供物を入れる細い筒状のワラで作ったもの)でつくったお堂は安曇地方ではここだけ。 毎年、正月に地区総出で五段に重ねて新しい屋根をふく。江戸時代建立で「やす」も当時からあったのではないかと伝えられている。 俳句坂から長者池観音堂往復3.4km。 俳句坂から登波離橋まで往復5.2km。 他に二十三夜塔がある。すぐ隣に菖蒲園があったが今は手入れがされず荒れ地になっている。 |
0.6 | 5.0 |
| 10 | 相道寺焼窯元 | 江戸時代にここの窯では日用品が造られた。ここで作られた瓦は県下で最も古い。 昭和43年に窯が発掘され昭和47年に復興、現在盛んに作品を焼いている。 |
0.4 | 5.4 |
| 11 | 半在家集落センター | センター東側に文久4年(1864)の道祖神がある。 20景観形成住民協定地区「花とアルプス一望の里」。 |
0.2 | 5.6 |
| 12 | 岡堰(おかせぎ) | 松本城主第9代堀田正盛が派遣代官。岡郷惣右衛門に水路を開発させた(1640年頃)。正科の町川から取水。約14km。当時の水位の測量では暗くなってローソクの火で高低を測ったといわれている。 | 0.6 | 6.2 |
| 13 | いろりのある家 | 池田町の中では「いろり」のある家が少なくなってきているが、築130年の牛越家では最近復興し、実際に火をたきながら、いろり端コンサート、民話の語りなどの「いろり端文化」を発信している。 | 0.3 | 6.5 |
| 14 | 荻原井泉水の文学碑 | 碑は中嶋集落センター東にある。荻原井泉水は自由律俳諧として全国的著名人。父が中島の吉澤家出身。本人は東京生まれ。 人生の有明つばくろのごとき父なりし 23,24
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0.2 | 6.7 |
| 15 | 鬼の釜古墳 | 池田町指定文化財。6-7世紀の円墳横穴式。直径10m、高さ3m。地元集落の首長家の墓といわれる。 鬼が近く住んでいて地元の主と埋蔵遺品を守っていたといわれる。 |
0.8 | 7.5 |
| 16 | 池田町・大町市境界 | 餓鬼岳を中心に北葛岳、蓮華岳、鹿島槍、五竜岳などの北アルプスの眺望は見事。 眼下に田園が高瀬川まで段々になって広々と広がり気分爽快。コース唯一300mほど土の道あり。 |
0.6 | 8.1 |
| No. | ガイド・ポイント | 要約 | Km | 総Km |
| 17 | 国宝、仁科神明宮 | 伊勢神宮の御領としての「仁科御厨(にしなみくりや)」があって御厨の鎮護のため祀られたお社。 創起は建久3年(1192)の文書から平安時代の中頃と考えられる。仁科氏が20年毎に弐年造営。天正10年(1582)に仁科氏が滅んでから松本藩の祈願所として仁科66郷の総社。 |
1.3 | 9.4 |
| 18 | 重要文化財 盛蓮寺観音堂 | 古くは現在地から1kmほどの北の沢沿いに「山寺」として室町時代に移築。真言宗の寺。観音堂は鎌倉様式の特徴を残した室町時代15世紀ごろの建築とされ、松本平最古の木造建造物で国の重要文化財。本尊の如意輪観音像は鎌倉時代のもの。いく度の戦乱の中、焼けずにいる。 | 1.8 | 11.2 |
| 19 | 佐々屋幾神社 | 北の館(館の内)から仁科神明宮に通う若殿が沿道(閏田)にいた娘が好きになり”ささやいた”という伝説がある神社 | 0.7 | 11.9 |
| 20 | 石仏群 | 閏田。様々な石仏が10体程見られる。 | 0.5 | 12.4 |
| 21 | 大町市民族資料館 | 社地区内より出土した縄文時代から室町時代までの土器、鉄器が展示されている。平安時代の五十(ごしょ)畑遺跡や前田遺跡からは人々の生活がうかがえる。長平遺跡も。社地区の主要産業として地域経済を支えてきた松崎紙、宮本紙などの紙の資料を展示した小展示室も設置されている。 | 0.3 | 12.7 |
| 22 | 丹生子(ニュウノミ)集会所 | 鎌倉時代前に開墾して住みついた。「にいのみ」がなまったもの。 | 1.4 | 14.1 |
| 23 | 常光寺 | 常光寺跡。ここから北アルプス連山が目の前に迫って眺望良し。 | 1.0 | 15.1 |
| 24 | 「大黒天」を中心とした石仏群 | 大北地方に多い。大黒天を中心とした20近い石仏群が見られる。 | 0.3 | 15.4 |
| 25 | 大町市立東小学校 | 1.0 | 16.4 | |
| 26 | 丑館薬師寺 | 静御前が奥州に逃げた義経を追ってきて力尽きたという伝説の供養搭がある。大北19番札所。 仁科氏が藤原・鎌倉時代に館之内居館の支館ともみられるものが残存していたが、その後再び用いられることなく今日に至っている。 |
0.4 | 16.8 |
| 27 | 神栄町山博通角 | 0.5 | 17.3 | |
| 28 | 市立大町山岳博物館 | 昭和26年(1951)開館。現在の建物は三代目。大町市の「山岳都市宣言のまち」にふさわしく、この博物館はその中心施設で山の貴重な資料を収集・保管・調査研究し、それをもとに楽しく興味深く学ぶことができる普及啓発運動をしている。 カモシカ(雷鳥)鳥類の生育研究とともに傷ついた動物も飼育している。友の会運営の喫茶、売店もある。 |
0.7 | 18.0 |